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京福電気鉄道の車両

このページでは、京福電気鉄道京都本社の車両を紹介します。 

 モボ26形   モボ101形   モボ111形   モボ121形 
モボ301形 モボ501形 モボ611形 モボ621形
モボ631形 モボ2001形 ク201形 モト1001形

モボ26形  モボ26形

 1994(平成6)年、武庫川車両製。在籍は2両。平安遷都1200年を記念して製造されたレトロ調電車である。モボ121形の機器を流用して製造された為、代わってモボ126、127の2両が廃車となっている。この中途半端な形式は、種車となった、モボ126号、127号に起因しているとも、叡山電鉄(元の京福叡山本線)にいたデナ21形と、番号の重複がないようにされたとも言われている。ベージュとグリーンのツートンカラーの中にあって、この茶色い塗装は非常に良く目立っている。26号には金の、27号には銀のトリムラインが入っており、一部には『金さん・銀さん』とも呼ばれている。

 モボ26号
 撮影場所  嵐山本線 三条口〜山ノ内 間


モボ101形  モボ101形

 1975(昭和50)年、武庫川車両製とされてはいるが、名義を正せば、1929(昭和4)年に、藤永田造船で製造された車両。1968〜1970年にかけて新製台車に交換し、1975年にモボ301形に合わせた車体に更新、その際に新造名義とされた。在籍は6両。元はモボ111・121形と同一の車体を持っていた。1989年から1992年にかけて冷房改造が行われた。新型車増備の中にあって、今尚お主力の座を譲らない。

 モボ101号
 撮影場所 嵐山本線 山ノ内〜蚕ノ社 間


モボ111形  モボ111形

 1932(昭和7)年、田中車輌製。モボ101形の増備車両として7両が投入された。車体、原動機、台車とどれをとっても瓜二つであったが、モボ101形更新の際に、全く異なる車両となってしまった。長らく、その優美な車体を揺らしながら、洛西路を駈けていたが、貧弱な2個モーターが災いし、また、寄る年波にも勝てず、1993(平成5)年、後身のモボ611形に道を譲って、全車廃車となった。

 モボ116号
 撮影場所 嵐山本線 西院車庫 許可を得て撮影


モボ121形  モボ121形

 1936(昭和11)年、川崎車輌で製造された。その翌年にも増備され、総勢10両が活躍した。車体はモボ101形から始まる昭和初期の嵐電スタイルを踏襲したが、窓のRがなくなるなど、若干イカツイ感じになった。また、モボ121〜124号の4両は、それまでの2個モーターから、4個モーターに増強されるなど、若干の変化が見られた。モボ301形登場後も主力の座を譲ることなく、第一線で活躍。2個モーターのモボ125〜130号は1990年までの間に姿を消したが、4個モーターのモボ121〜124号の4両は、長く活躍している姿が見られた。最後まで残った124号は、1996年秋の増強運転を最後に定期運用を離脱、同年暮れの運転を最後に引退した。現在、そのモボ124号の前頭部が嵐山駅構内に保存展示されている。

 モボ121号
 撮影場所 嵐山本線 太秦〜帷子ノ辻 間


モボ301形  モボ301形

 1971(昭和46)年、武庫川車両製。ポール集電当時としては最高性能車であったが、製造時期が悪く、また当時としては、まだまだ中小私鉄に全金車と言うのが敷居が高く、結果、2両が配置されたに終わった。少数派であり、また、登場のタイミングが悪かった事もあり、印象は薄いが、登場時には、非常にもてはやされた。走行するシーンには中々お目にかかれないが、モボ101形に混じって活躍する姿が見られる。

 モボ302号
 撮影場所 嵐山本線 三条口〜山ノ内 間


モボ501形  モボ501形

 1984(昭和59)年、武庫川車両製、翌年にも増備され、4両登場したが、現在の在籍数は2両。嵐電終日ワンマン運転を目指して製造された、嵐電初の冷房車である。一般的なワンマンカーに準じ、中乗り前降りを旨とした車体であったが、それまでの嵐電スタイルを全く無視した構造が仇となり、乗務員の評判は悪く、また、観光シーズンにはその車体構造から慢性的な遅延を生み出すという事から、基本的にモボ501形以外の車両と2両で運転されるようになっている。よって、写真のような単行運転の姿は非常に珍しい。登場から16年が経過し、その評判の悪さから次期廃車候補として白羽の矢が立てられた。塗装はグリーンのツートンで登場したが、一部車両は、他車に準じた、ベージュとグリーンのツートンに変更されている。

 モボ501号
 撮影場所 嵐山本線 三条口〜山ノ内 間


モボ611形  モボ611形

 1992(平成4)年〜1993(平成5)年にかけて、武庫川車両で製造された。モボ600形と一括りにされて紹介されるが、この3形式の違いは種車の違いによるものである。このモボ611形は、モボ111形の機器を流用したものである。モボ501形に改造されたモボ114号を除く全車両が同形式に改造されている。在籍数は6両。現在、新たな主力の座を狙っている。

 モボ613号
 撮影場所 嵐山本線 三条口〜山ノ内 間


モボ621形  モボ621形

 1990(平成2)年、武庫川車両にて製造された、平成形嵐電スタイルの始祖。それまでの稲妻形社紋の取り付けを止め、新たに『Randen』のロゴを取り付けた。種車はモボ121形。先ず2両が登場し、その後、1995(平成7)年から96(平成8)年にかけて増備された。在籍数は5両となっている。

 モボ622号
 撮影場所 嵐山本線 太秦〜帷子ノ辻 間


モボ631形  モボ631形

 1995(平成7)年、武庫川車両の製造、。種車はク201形。1996年にかけて増備が進み、現在の在籍数は3両。制御車が種車であるため、モーターは、元4個モーター車であったモボ121形の廃車発生品を使用。付随台車は廃棄の上、新造したと言うのが興味深い。この形式の登場により、戦前形と呼ばれた車両は全て淘汰されたことになる。

 モボ632号
 撮影場所 嵐山本線 西院車庫 許可を得て撮影


モボ2001形  モボ2001形

 2001(平成13)年にモボ501形の代替車として登場した最新型車両。車体はモボ600系列に酷似しているが、窓配置等に違いが見られる。製造は武庫川車両。現在、毎年1両のペースでの増備が計画されており、2001年度(2002年)に2002号が登場。現在の在籍数は2両。今後、増備が進められるにつれ、モボ501形が廃車となって行く予定である。

 モボ2001号
 撮影場所 嵐山本線 嵯峨駅前〜嵐山 


モト1001形  モト1001形

 1974(昭和49)年、武庫川車両にて製造された工事用電動貨車。モト501形の代替車として、廃車となった京都市交1600形の機器を流用して誕生した。在籍は1両。かつて同一社であった叡山電鉄には全く同時期に登場した、同型のデト1001形が在籍している。

 モト1001号
 撮影場所 嵐山本線 西院車庫 許可を得て撮影


ク201形  ク201形

 1950(昭和25)年、汽車會社製の制御車。地方私鉄などで制御車は良く見られるが、路面電車としては唯一無二の存在であった。戦後の登場であるが、車体は連結相手のモボ121形に準じて作られている。片運転台で、連結される向きは常に嵐山側であった。3両が在籍し、4個モーターのモボ121号〜124号に連結されていた。晩年は連結相手が固定され、モボ124号とコンビを組んでいたク202号が最後の1両となった。廃車はモボ124号と同時で、ク202号の除籍により、軌道用車両として唯一の存在だった制御車は消滅してしまった。

 ク202号
 撮影場所 嵐山本線 三条口〜山ノ内 間


形式の事:

モハ、デハ、モ・・・など、形式の頭につく、識別記号。そのような中にあって、ここ京福電気鉄道京都本社の車両の形式の付け方は一風変っている事に気付かれたと思います。『モボ』、それは、『ーター付きギー車』の略なのです。モボ101形登場当時、まだ、単車が主流だった時代でした。そのような流れの中で、いち早くボギー車を導入したということは、一種の誇りだった他ありません。京都人全てが鉄道趣味があったわけでもないのに、大正生まれ前後の人は『ボギー車』という言葉を知っていたようです(調査済み)。その環境下において、電気会社(当時はまだ京都電燈)の社員が、形式に『ボギー車』であることが瞬時に分かる言葉を入れたのは当然の成り行きだったのかもしれません。
因みに、電動貨車が『モト』なのは、『ーター付きロッコ』の略とも言われています。今のモト1001形を見ていると、とても『トロッコ』なんてシロモノとは思えませんけどね(むしろ『トラック』!?)。


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